松風茶の湯の暦と銘

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茶席の禅語

床に掛かる一行物の、出どころと意味、掛ける時季。禅籍と辞典、裏千家の公式で確かめられたことだけを書いている。80語。

新年

松樹千年翠

出典不詳 1月

松は千年たっても緑の色を失わない、という意。

出どころを記した資料は確かめられなかった。禅僧の法話は、正月の床の間を飾ることの多い禅語として紹介している。

松の葉が何年たっても緑の色を絶やさないことをいう。法話の一つは、そこに、どんな人の心の奥にもある色あせない仏心を重ねる。別の法話は、変わらない松の緑に託して長寿や多幸を祈る語と説き、その祈りは自分のためだけでなく他のためでもある、とする。

同じ法話は、臨済禅師が黄檗山に松を植えた逸話を『臨済録』から引く。そのうえで「竹有上下節」などの語と並べ、松竹梅で新年を祝っている。

出典

梅花開五福ばいかごふくをひらく

出典不詳 1月

梅の花が開き、五つの福をもたらすという意。

出どころの禅籍は確かめられていない。五福ごふくは『書経』洪範に由来する語で、長寿、財力の豊かさ、無病息災、徳を好むこと、天命を全うすることの五つの幸福をいう。

梅は厳しい寒さの中で百花にさきがけて咲き、花弁が五枚あることから五福ごふくに結びつけられたと説明される。禅語としては、心の花が開くこと、すなわち悟りが開けることを表すとされる。五枚の花弁を、人に具わる五つの智慧にたとえる解釈もある。

禅僧の解説によれば、正月の床でよく見かける句である。

出典

歩歩是道場ほぼこれどうじょう

出典不詳 1月

一歩一歩の歩み、その場所がそのまま修行の場だという意。

出どころの禅籍は、確かめた出典には示されていない。図書館のレファレンス事例は、『成語林』と『茶席の禅語大辞典』にこの語の解説があると紹介する。

歩む一歩一歩、言動の一つ一つがすべて仏道の修行であり、常に真理のただ中で生活していると自覚せよ、という意とされる。法話は、修行とは特別なことではなく、日々を生きることそのものだと説く。道場は修行の場のほか、釈尊が悟りを開いた菩提樹の下の座も指すという。

禅僧の法話には、学生時代に茶道を学んでいたころ、初釜の茶会でよく見かけた禅語として挙げられ、1月の床の間にこの軸を掛けるとある。

出典

寿如南山じゅはなんざんのごとし

出典不詳 1月

命が南山のように長く、揺るがないことを願う祝いの語。

出どころの禅籍は、確かめた出典には示されていない。『詩経しきょう』小雅「天保」に「南山の寿の如く」の句があり、「南山の寿」は長寿を祝う語とされる。中国の成語辞典類も、類句「寿比南山」の出典を『詩経しきょう』小雅「天保」とする。

寿は人の命で、中国では天から授かったものと考えられてきた。南山は終南山しゅうなんざんを指す。全山が堅い岩からなるので「壊れない」ことを意味し、陰湿寒冷な北山に対する陽気温暖な山とも解される。天寿が極まりないことを祝う語である。

寿も南山もめでたさを表す縁語につながるため、正月や祝い事のあるときに床の間に掛けられる。

出典

万里一条鉄ばんりいちじょうてつ

『人天眼目』巻二 1月

万里に一筋の鉄が連なるように、絶えず続くことのたとえ。

『精選版 日本国語大辞典』は、『人天眼目』巻二に古徳の語として引かれる「万里一条銕」によるとする。『景徳伝燈録けいとくでんとうろく』巻二十にも見え、『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』授記の巻に用例がある。

万里にわたって一本の鉄が連なっている意。仏語では、すべての現象は刻々と移り変わるが、その実相は少しも変わらず、過去・現在・未来を通じて連なっていることをいう。転じて、物事が絶えることも衰えることもなく続くことのたとえとなった。

令和8年(2026)1月の今日庵稽古始めでは、京都の宗家と裏千家東京道場の咄々斎とつとつさいの床に、元伯宗旦筆の「万里一條鐵」が掛けられた。元伯は千宗旦せんのそうたんの字である。

千宗旦

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春

柳緑花紅りゅうりょくかこう

出典不詳 2月・3月・4月

柳は緑、花は紅。物が自然のままにある姿。

出どころは資料によって異なる。大辞泉と日本国語大辞典は、蘇軾そしょくの詩句「柳緑花紅真面目」によるとする。『五灯会元』巻八に見える酒仙遇賢しゅせんぐうけんの詩句を由来に挙げる辞典もある。広島県立図書館のレファレンス事例は、蘇軾そしょくの詩集類を調べても該当の句は見つからなかったと報告している。

柳は緑に、花は紅に、それぞれ自然のままであることをいう。物にはそれぞれ自然の理が備わり、さまざまに異なることのたとえにも使う。春の美しい景色を形容する語でもある。

禅僧の法話は、春を連想させる語とする。真冬に、早く春が来るよう願ってこの軸を掛けている寺の例も紹介している。

出典

百花春至為誰開ひゃっかはるいたってたがためにかひらく

『碧巌録』第五則 2月・3月・4月

春に咲く多くの花は、誰のために開くのか、と問う語。

『碧巌録へきがんろく』第五則「雪峰尽大地せっぽうじんだいち」の公案の頌じゅにある句。春が来て咲き乱れる多くの花は、いったい誰のために開くのか、と問いかける。

禅僧の解説の一つは、花は誰のためでも何のためでもなく、はからいなく無心に咲いている、と読む。別の解説は、じっと見つめる人を待って咲いているのだとし、花のいのちをよく見よと説く。無心に咲くことで花はみずからを生ききり、鳥や虫や人をも活かしている、とする法話もある。

『碧巌録へきがんろく』は、宋の圜悟克勤えんごこくごんが、雪竇重顕せっちょうじゅうけんの選んだ百則の公案に評唱などを加えた書である。

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春色無高下 花枝自短長しゅんしょくこうげなく かしおのずからたんちょう

『普灯録』巻十一 2月・3月・4月

春の光は平等に注ぐが、花の枝にはおのずと長短がある。

『普灯録』巻十一の句とされ、別の解説は『槐安国語かいあんこくご』を挙げる。『槐安国語かいあんこくご』は、白隠慧鶴はくいんえかくが大燈国師だいとうこくしの語録に評唱を加えた書である。

うららかな春の日ざしは、山にも町にも、貧しい家にも富んだ家にも、分けへだてなく降り注ぐ。それでも花の枝には、おのずと長いものと短いものがある。仏教のいう平等即差別、差別即平等を示す句と解される。短い枝も長い枝も、それぞれのままで完全であり、どちらが劣るのでもない、とも説かれる。

禅僧の解説は、梅や桜や桃が咲く春の景色を述べた句としている。

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桃李不言下自成蹊とうりものいわざれども したおのずからけいをなす

『史記』李将軍列伝 2月・3月・4月

徳のある人のもとには、黙っていても人が集まる。

司馬遷しばせんの『史記』巻一百九「李将軍列伝」に見える。口数の少なかった将軍李広りこうの人柄をたたえるため、司馬遷しばせんが当時のことわざとして引いた句である。原文に「諺に曰く」とあり、それ以前から言われていた句と考えられている。

桃や李は何も言わないが、花や実にひかれて人が集まり、木の下に自然と小道ができる。そこから、徳のある人のもとには黙っていても人が慕い寄る、というたとえになった。

禅僧の解説は、桃と李の花が咲く下を、人々が春の日ざしを浴びて行き交うのどかな情景と読む。禅の目で見れば「人境倶不奪」の境地に通じる、ともいう。千宗室家元は、裏千家の冬期講習会の開講式で「桃李自成渓」の軸を床に掛けたと記し、この句のもとを「桃李不言 下自成蹊」とする。

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山花開似錦 澗水湛如藍さんかひらいてにしきににたり かんすいたたえてあいのごとし

『碧巌録』第八十二則 2月・3月・4月

山の花は錦のように咲き、谷川の水は藍のように深く湛える。

『碧巌録へきがんろく』第八十二則の本則に見える。ある僧が大龍だいりゅう智洪に「色身は敗壊す、如何なるか是れ堅固法身」(この肉体は滅びるが、滅びない法身とは何か)と問うた。大龍だいりゅうはこの対句で答えた。

山の花が錦のように咲き、谷川の水(澗水かんすい)が藍のように深く湛えている、という目の前の景色で答えたもの。『禅学大辞典』の解釈では、風景をいったのではなく、思量分別を離れた真如実相をじかに指し示したものとされる。山田無文老師は、桜の花が咲いて山一面が錦となる情景として語り、すぐに散る花や流れてやまない水の刹那の中にこそ永遠を見いだせと説いた。

出典

東風吹散梅梢雪 一夜挽回天下春とうふうふきさんずばいしょうのゆき いちやばんかいすてんかのはる

『円機活法』 2月

春風が梅の梢の雪を吹き払い、一夜で天下が春になったという意。

南宋の白玉蟾はくぎょくせんが立春を詠んだ詩の一節とされる。白玉蟾はくぎょくせんは南宋の道士である。立春は二十四節気の一つで、太陽暦の2月4日ごろにあたる。大徳寺に住した徹翁義亨てっとうぎこう(大現国師)の『徹翁和尚語録』にもこの句が見える。『円機活法えんきかっぽう』を出典に挙げる説がある。

東風は春風のこと。春一番が梅の梢に残った雪を吹き散らし、一夜のうちに天下に春が来た、という情景をうたう。禅では、雪と氷に閉ざされたような厳しい修行を積み、機が熟したとき、煩悩や妄想が吹き払われて悟りの世界が開ける喜びにたとえる、と解される。

出典

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同ねんねんさいさいはなあいにたり さいさいねんねんひとおなじからず

『唐詩選』 2月・3月・4月

花は毎年同じように咲くが、それを見る人は年ごとに変わるという意。

初唐の詩人劉希夷りゅうきいの七言古詩「白頭を悲しむ翁に代る」(代悲白頭翁)の一節。この詩は『唐詩選とうしせん』に採られ、劉希夷りゅうきいの作として特に名高い。

冬が終わって春になれば、花は昔と同じように美しく咲く。しかし、ともにその花を見た人は、もうこの世にいない。自然の悠久さと人の命のはかなさを対比させ、人生の無常を詠んだ句とされる。禅僧の法話は、毎年同じように咲く桜も去年と同じ花ではなく、尽きる命だからこそ今を大切に生きることを説く句として読む。

出典

江碧鳥逾白 山青花欲燃こうみどりにしてとりいよいよしろく やまあおくしてはなもえんとほっす

『唐詩選』五言絶句 2月・3月・4月

川の碧に鳥の白が映え、山の緑に花が燃えるように赤い春景色。

杜甫とほの五言絶句の前半二句で、『唐詩選』に収める。安禄山の乱ののち成都に身を寄せていた杜甫とほが、望郷の思いを詠んだ詩。後半は「今春看又過 何日是帰年」と続き、今年の春もまた過ぎてゆく、いつ故郷に帰れるのか、と結ぶ。

江は成都の錦江。川の深い碧を背に飛ぶ鳥はいっそう白く、山の緑の中に咲く花は燃えるように赤い。その花は桃の花だという。色を対比させて成都の春景色を描く。禅では、色の違うそれぞれがそのまま完全で、互いを引き立て合う調和の世界をここに見る、と解される。

出典

一花五葉開 結果自然成いっけごようひらき けっかじねんになる

『少室六門集』 4月

一輪の花が五枚の花びらを開き、実は自然に結ぶ。達磨だるまの伝法偈とされる。

達磨だるま大師の著と伝えられる『少室六門集』の終わりに出る句で、達磨だるまの伝法偈といわれる。『少室六門集』は古来、禅宗の祖菩提達磨ぼだいだるまの著書として伝えられ、心経頌・破相論・安心法門など六門からなる。

達磨だるまの禅(一花)が、のちに五家(五葉)に分かれて開き、実を結んだことをいうとされる。五家は中国禅宗の曹洞・臨済・潙仰いぎょう・雲門・法眼の五派。五葉を禅宗の五祖とみて、六祖のときに達磨だるまの禅が花開いた意とする説もある。

禅僧の解説は、陽春四月の花の季節にふさわしい句とし、茶席の禅語としては「禅者の解釈」を採っておくとする。

出典

夏

薫風自南来 殿閣生微涼くんぷうみなみよりきたる でんかくびりょうをしょうず

『槐安国語』 5月

南から吹く初夏の風に、御殿がほのかに涼しくなる。

唐の文宗ぶんそう皇帝が詠んだ起承の句に、柳公権りゅうこうけんが付けた転結の句とされる。人は暑さに苦しむが自分は夏の長い日を愛す、という皇帝の句を受け、南から来る薫風くんぷうで御殿に涼しさが生まれる、と続けた。『槐安国語』の語とされる。

禅語として重んじられるのは、大慧だいえ禅師がこの句を聞いて大悟したと伝わるためである。得失や善悪へのこだわりを一陣の風が吹き払った、さっぱりとした境地を表すと解される。「くんぷうじなんらい」と音で読むのが習慣ともされる。

裏千家では宗家の稽古場に毎年この軸を掛ける。千宗室家元は淡交タイムス六月号の巻頭言で、先月も例年どおり掛けたと記している。

出典

滅却心頭火自涼しんとうをめっきゃくすればひもおのずからすずし

『全唐詩』巻六九三(杜荀鶴「夏日題悟空上人院」) 5月・6月・7月

こだわる心を断ち切れば、火の熱さにも心を乱されないという意。

晩唐の詩人杜荀鶴とじゅんかくの七言律詩「夏日題悟空上人院」の第三・四句「安禅あんぜん不必須山水 滅得心中火自涼」がもとになっている。真夏に松も竹の陰もない僧房で坐禅する悟空上人を詠んだ詩で、『全唐詩』巻六九三に収める。禅林では『碧巌録へきがんろく』第四十三則に引かれ、禅僧の解説は前句と合わせて『碧巌録へきがんろく』の語として掲げる。

1582年、織田信長の兵に甲斐の恵林寺えりんじを焼かれた快川紹喜かいせんしょうきが、火中でこの句を唱えて没したと伝わり、広く知られるようになった。

「安禅あんぜん」は坐禅のこと。「心頭」は物事にこだわる分別執着の心をいう。それに乱されなければ、熱さを熱さのまま静かに受けとめられる、と解される。

出典

脩竹不受暑しゅうちくしょをうけず

杜甫「陪李北海宴歴下亭」 5月・6月・7月

長い竹の林は暑さを受けつけない。清涼な人には暑苦しさが寄らない。

杜甫とほの詩「陪李北海宴歴下亭」の句で、『詩人玉屑』巻六にも引かれる。杜甫とほは盛唐の詩人で、律詩の完成者として詩聖と称される。

「脩竹しゅうちく」は長い竹のこと。竹がむらがって生える林は、竹どうしが陽ざしを遮って日陰をつくるので涼しく、暑さを受けつけない。一本だけではあまり涼しくないが、何本も茂ると涼しくなる。そのように、精神的に清涼な人、さわやかな気持ちを持つ人のところには、むさ苦しい事柄が自ずから寄りつかないと解される。

出典

秋

昨夜一声雁 清風万里秋さくやいっせいのかり せいふうばんりのあき

『禅林句集』 8月・9月・10月

昨夜雁の声が渡り、清らかな風に万里が秋となった、という情景。

出典を『禅林句集』とする説がある。もとの詩文は確かめられていない。

昨夜、雁の一群が鳴きながら渡っていき、今朝は清々しい風が吹き渡って、至る所に秋の気配がする、という情景をうたう。残暑のなかに秋らしさを感じ取る句とも解される。雁は秋の季語で、『万葉集』では秋を告げる鳥として詠まれた。

禅家では、修行者が機縁熟して忽然と悟りを開くことを一声の雁に、悟ってわだかまりが消えた清々しい心境を清風万里の秋にたとえる、と説かれる。

出典

楓葉経霜紅ふうようはしもをへてくれないなり

出典不詳 8月・9月・10月

楓の葉は、厳しい霜を経てこそ紅く染まるという意。

出典は不詳とされる。禅僧の解説によれば、暑い夏が終わって秋が深まると、茶席でよく見かける句である。

楓葉ふうようは紅葉したかえでの葉。厳しい霜を経て初めて楓は真っ赤に色づき、そうでなければ美しい紅葉は見られない。この句は紅葉の景色や植物の性質を述べたものではなく、人も苦労を経験し耐えしのぐことで成長することをいうとされる。

同じ解説は、不遇の時代に学問や修養、禅の修行に励んだ井伊直弼いいなおすけの生涯を、この句に重ねている。

出典

吾心似秋月 碧潭清皎潔わがこころしゅうげつににたり へきたんきよくしてこうけつ

『寒山詩』 9月

わが心は、碧く澄んだ池に映る秋の月のように清らかだ。

『寒山詩かんざんし』の句。『寒山詩かんざんし』は、唐代の僧寒山かんざんの作と伝わる詩集である。このあとに、比べられる物はなく、どう説けばよいのか、という意の句が続く。

わが心は、碧く澄んだ池に映る中秋の明月のように清らかで明るい、という意。単なる情景の描写ではなく、深い悟りの心境を自然に託して詠んだものとされる。

解説によると、禅僧は今もこの詩をよく揮毫し、居室の床に掛ければ部屋はたちまち寒山かんざんの世界になるという。寒山かんざんは天台山国清寺こくせいじの豊干ぶかんに師事したと伝わり、文殊菩薩の化身とされた。

出典

月到中秋満 風従八月涼つきはちゅうしゅうにいたってみち かぜははちがつにしたがってすずし

『宏智広録』巻一 9月

月は中秋に満ち、風は八月になって涼しくなる。

南宋の禅僧、宏智正覚わんししょうがくの『宏智広録』巻一に出る。宏智は、趙州じょうしゅう和尚のおかげで、眼の中の金屑を取り除いてもらい、鼻先の泥を拭ってもらったと述懐し、その心境をこの句で述べた。

月は中秋になって満ち、風は八月になると涼しくなる。何事も時が来てはじめて熟す、という意と解される。中秋は陰暦の八月十五日をいう。

禅僧の解説は、人生の質が一瞬で変わる例として、滝の泡に無常を感じて夜通し坐禅し、朝の雀の声で悟った駿河の平四郎の話を引いている。

出典

月白風清つきしろくかぜきよし

『槐安国語』 9月

月は白く輝き、風は清らかに吹く。とらわれのない清々しい境涯。

『槐安国語かいあんこくご』の句とされる。『槐安国語かいあんこくご』は江戸中期の白隠慧鶴はくいんえかくの著で、大徳寺派の開祖宗峰妙超しゅうほうみょうちょう(大燈国師だいとうこくし)の語録に評唱を加えたもの。

澄み切った空に月が白く輝き、清らかな風が吹き渡って木々の葉を鳴らす。秋の清涼な風景を簡明にうたう。ただ自然の美しさをたたえるだけでなく、金や地位、名誉や自分へのとらわれを一切断ち切った、自由でさっぱりした境涯をいう語と解される。

禅僧の解説は、初秋のころによく見かける句とし、暑い夏が終わった九月の情景にたとえる。

出典

体露金風たいろきんぷう

『碧巌録』第二十七則 10月

葉の落ちた木々に、秋風が吹きわたっている。

『碧巌録へきがんろく』第二十七則に出る雲門うんもん禅師の答え。ある僧が、樹がしぼみ葉が落ちる時はどうか、と問い、雲門うんもんは「体露金風」と答えた。禅僧の法話は、晩秋の問答として紹介している。

「体露」は全体がまる出しに現れていること。「金風」は秋風で、五行説で秋が金にあたることによる。天地いっぱいに秋風が吹いている、という意である。

僧のいう「樹がしぼみ葉が落ちる時」は、煩悩も悟りも落とし尽くした境地を指すとされる。雲門うんもんは、そう気負わずに清々しい秋風を存分に味わえ、と応じたと解される。

出典

月落長安半夜鐘

出典不詳 10月

最も暗い夜半、人気のない都に鐘の音がどこまでも伸びていく情景と解される。

出どころは確かめられなかった。長安は中国の旧都で、唐代に最も栄えた。現在の西安市付近にあたる。半夜は真夜中、夜半のこと。

淡交タイムス十一月号の巻頭言は、半夜を、夜の始まりからも夜明けからも最も遠い、いちばん暗い時間帯ととらえる。人気のない広い都に鐘の音がどこまでも伸びていくと解せば、ふと目覚めて聞いた鐘が再び眠るまで耳に残っている情景とも受け取れるという。

同じ巻頭言によると、宗家では毎年十月にこの軸が咄々斎とつとつさいに掛かる。鵬雲斎ほううんさい宗匠が好んだ語だという。淡々斎宗匠がこの軸を別の機会に使っていたことを示す写真も、遺品の中から見つかった。鵬雲斎ほううんさいは裏千家十五代、淡々斎は十四代の家元である。

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冬

滴水滴凍てきすいてきとう

『景徳伝灯録』巻十七 11月・12月

落ちる滴が一滴ごとに凍るように、一瞬一瞬を引き締めて生きよという意。

『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』巻十七、白水本仁の章に見える語。『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』は宋代に道原が著し、1004年に成った書で、過去七仏からインド・中国の諸師の伝記と法系を述べる。

寒い冬の朝、懸樋を伝ってぽとりぽとりと落ちる滴が、一滴ごとに凍っていく。そのように人も一瞬一瞬を引き締めて生きなければならない、という意。解説は、人生の道も一歩一歩を踏みしめて歩けば充実したものになる、と説く。白隠が「長生きとは長い息なり」と書いたことにもふれ、一息一息をおろそかにしないことに重ねる。

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寒雲抱幽石 霜月照清池かんうんゆうせきをいだき そうげつせいちをてらす

『虚堂録』 11月・12月

冬の雲が苔むした石を抱き、霜夜の月が澄んだ池を照らす初冬の情景。

『虚堂録』の句とされる。虚堂智愚きどうちぐは南宋の臨済宗の僧で、『虚堂和尚語録』がある。

寒雲かんうんは冬の凍てついた雲、幽石ゆうせきは苔むした静かな石、霜月そうげつは霜の降りる夜の月、清池せいちは澄みきった池のこと。辞書でも寒雲かんうんは冬の寒々とした雲で、冬の季語とされる。初冬の夜の情景を描き、余計なものを一切捨て切った修行者の心境を、この冬景色に託すと解される。

禅の境涯を季節の風景に託す句は秋が最も多く、次いで春で、冬は多くない。そのなかでこの句はよく用いられるという。

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無事是貴人ぶじこれきにん

『臨済録』 12月

外に求める心がやんだ人こそが、貴ぶべき人だという意。

『臨済録りんざいろく』に見える臨済義玄りんざいぎげんの語。臨済は「求心ぐしん歇む処、即ち無事」と説き、ただ造作ぞうさすることなく平常であれと示した。

無事は平穏無事のことでも、何もせずにいることでもない。仏や悟りを自分の外に求めない心をいう。貴人は身分の高い人ではなく、貴ぶべき人、すなわち仏を指すとされる。無事を、物事を鏡のようにありのままに映し出す心とする法話もある。

禅僧の解説によれば、歳末が近づくと多くの茶席に掛けられる。一年を無事に過ごせた感謝と、忙しい年の瀬にも足もとを乱さず正月を迎えたいという願いをこめるが、禅語としての意味とは少し違うという。裏千家の宗家だよりには、6月の催しで家元贈呈の扇面「無事是貴人」を掛けた呈茶席の報告もある。

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臘月火焼山ろうげつひやまをやく

『碧巌録』第十七則 12月

年の暮れに山を焼けば、春に新しい芽が出る。修行の心得のたとえ。

『碧巌録へきがんろく』第十七則の評唱に見える香林の語。ある僧が香林に、修行中の心得(衲衣下の事)とは何かと問うた。香林は「臘月ろうげつ、火、山を焼く」と答えた。

臘月ろうげつは陰暦十二月の異称で、冬の季語。暮れに農家が山に火をつけて草を焼くと、翌春に新しい芽が出て、よいワラビが採れる。修行のあいだは冬の山を焼くようにしっかり苦労して、煩悩妄想を焼き尽くせ、という意と解される。修行中に陰徳を積んでおかなければ、将来、法は栄えないとも説かれる。

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通年

日日是好日にちにちこれこうじつ

『碧巌録』第六則 通年

来る日も来る日も、よい日である、という意。

唐末五代の禅僧、雲門文偃うんもんぶんえんの語として『碧巌録へきがんろく』第六則の本則に出る。雲門は門下に、十五日より前のことは問わない、十五日より後のことを一句で言ってみよ、と迫った。誰も口を開かないので、みずから「日日是好日」と答えたという。

毎日を感謝して暮らす、という通俗の意味にとどまらないとされる。禅僧の解説の一つは、どんな災難に遭う日でも素直に受け入れられる心がなければ、この語は口にできないと説く。嫌な日もまた二度とない大切な一日だ、と説く解説もある。

禅では「日日」を「にちにち」と読むのが習慣とされる。「好日」には「こうにち」「こうじつ」の両方の読みが辞典にある。裏千家の「今月のことば」には、新しい日への期待と過ぎた日を偲ぶ気持ちの繰り返しが「日々是好日」につながる、という一節がある。

出典

主人公しゅじんこう

『無門関』第十二則 通年

自分の内にある本来の自己に呼びかける語。

『無門関むもんかん』第十二則に出る。瑞巌ずいがん和尚は毎日、自分に向かって「主人公」と呼びかけ、自分で「はい」と答えた。続けて、目を覚ましているか、これから先も人にだまされるな、と自問自答したという。

ここでいう主人公は、物語の中心人物でも一家の主人でもない。一人ひとりの主体的な自己を指す。辞典も仏語の意味として「自己本来の面目」を挙げ、文献に『無門関むもんかん』を引く。

裏千家の千宗室家元は「今月のことば」で、この語にふれている。鵬雲斎宗匠は、毎日鏡に顔を映して「おい、主人公」と自分に呼びかけよ、とよく説いていたという。宗匠はそれを後藤瑞巌ずいがん老師から教わった、と家元は聞いている。

出典

放下著ほうげじゃく

『五家正宗賛』 通年

一切の執着を捨て去れ、という語。

禅僧の解説は『五家正宗賛ごけしょうじゅうさん』の趙州じょうしゅう和尚の章にある話とする。別の法話は『従容録』第五十七則の本則を出典として注する。厳陽尊者げんようそんじゃが、何物も持たない境地に至ったがこの先どう修行すべきか、と問うと、趙州じょうしゅうは「放下著」と答えた。

尊者が、何も持っていないのに何を捨てるのか、と重ねると、趙州じょうしゅうは、捨てられないならそれを担いで去れ、と返した。無一物を誇る自我まで捨て切れ、と迫った問答と解される。

「放下」は投げ捨てること、「著」は命令の意を強める助辞とされる。辞典も「放下」を「ほうげ」と読み、禅宗で一切の執着を捨て去ることと説く。

出典

円相えんそう

出典不詳 通年

禅で悟りの象徴として描く、まるい形。

禅宗で描かれる円をいう。辞典は、人の心に本来備わっている悟りを示すために描く円と説き、『正法眼蔵』の用例を引く。円の中に文字や記号を書き、心の働きや悟りの段階を表すこともある。一円相いちえんそうともいう。

心のありようが欠けるところなく円満であることを表すとされる。図書館のレファレンス事例は、禅宗の墓石に刻まれる「○」も一円相いちえんそうで、完全円満の境地を表すと紹介している。

裏千家の宗家暦によると、令和六年二月二十八日に大徳寺聚光院で営まれた利休居士の毎歳忌では、閑隠席の床に玄々斎の円相が掛けられた。

玄々斎

出典

壺中日月長こちゅうじつげつながし

『虚堂録』 通年

壺の中の別天地では、月日がゆったりと流れる。

『虚堂録』の語とされ、別の解説は『圜悟語録』巻十八を挙げる。もとは『後漢書ごかんじょ』費長房ひちょうぼう伝の故事である。汝南じょなんの町の薬売りの老人、壺公ここうは、店を閉めると店先の壺に入っていった。役人の費長房ひちょうぼうが頼んで共に入ると、中は広大な別天地で、帰ると十数年がたっていたという。

「壺中」は壺の中の別天地で、ひいては悟りの境地をいう。「日月長し」は、時間に追われず悠々と日々を送ることと解される。狭い家や職場もそのまま壺中の天地になりうる、と読む解説もある。

禅僧が好んで書く語で、茶室の掛け物として特に喜ばれるとされる。

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庭前柏樹子ていぜんのはくじゅし

『無門関』第三十七則 通年

禅の真意を問われ、趙州じょうしゅうが庭先の柏樹を示した語。

『無門関むもんかん』第三十七則に出る趙州じょうしゅう和尚の問答。ある僧が、達磨がインドから中国へ来た真意は何か、と問うと、趙州じょうしゅうは「庭前の柏樹子」と答えた。『趙州じょうしゅう録』には続きがある。外の物で答えないでほしいと僧が言うと、趙州じょうしゅうは外の物で示してはいないと返し、同じ問いにまた「庭前の柏樹子」と答えた。

「子」は意味をもたない助辞。「柏樹」は日本のカシワではなく柏槙びゃくしんとされる常緑樹である。趙州じょうしゅうが住んだ観音院は柏林寺とも呼ばれ、柏樹が茂っていたという。心と外の物を分けて見る僧に対し、柏樹そのものになりきった境地を示したと解される。

『無門関むもんかん』は南宋の無門慧開むもんえかいが公案四十八則を選び、評唱と頌を加えた書である。

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清流無間断 碧樹不曾凋せいりゅうかんだんなく へきじゅかつてしぼまず

『禅林句集』 通年

清流は絶えず流れ、緑の樹はしぼむことがない。

『禅林句集』に収める対句。清らかな流れは絶えることなく流れ、緑の樹はしぼむことなく碧を保つ。禅僧の解説は、碧樹へきじゅを松や椿のような落葉しない常緑樹とする。辞典も碧樹へきじゅを緑の葉の茂った樹と説く。

禅家がこの句を好むのは、情景の清々しさのためだけではないとされる。釈尊の悟りの心が、師から弟子へ一度も途切れることなく伝えられてきたこと、その命脈を継いだ感激を読み取るべきだという。

解説は、花園法皇が大灯国師の法を嗣いだ思いを述べた「往年の御宸翰ごしんかん」を引き、この句の心を説いている。

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深林人不知 明月来相照しんりんひとしらず めいげつきたってあいてらす

『唐詩選』五言絶句 通年

林の奥の楽しみを人は知らず、明月だけが照らす。

唐の詩人王維おういの五言絶句「竹里館ちくりかん」の後半二句で、『唐詩選』に収められる。詩は、ひとり奥深い竹林に坐り、琴を弾き、声を長く引いて歌う、と始まる。

林の奥のこの楽しみを知る人はいないが、明月だけが来て照らしてくれる。解説の一つは、悟った人が静かな境涯を楽しむさまは人に語れるものではなく、体験してはじめて知りうる、と読む。『寒山詩かんざんし』の「吾が心秋月に似たり」と同じ消息とする解説もある。孤独な楽しみを知ることの大切さを説く解説もある。

王維おういは唐代の詩人で画家でもあり、仏教を信じたことから詩仏と称された。

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紅炉上一点雪こうろじょういってんのゆき

『碧巌録』 通年

赤く燃える炉の上に落ちた雪が、たちまち消えるさま。

『碧巌録』の語とされる。辞典は『続近思録』を出典に挙げ、日本の用例として『塩山和泥合水集』を引く。

紅炉こうろは、火が真っ赤におこっている囲炉裏。その上に一片の雪が落ちれば、跡形もなく消える。辞典は、私欲や迷い、疑いがすっかり溶けてなくなることのたとえとする。

禅僧の解説は、これを死に対する禅の答えと読み、川中島の戦いの逸話を引く。斬りかかった上杉謙信が剣刃上けんにんじょうの事を問うと、武田信玄はこの句で答え、鉄扇てっせんで受け止めたという。生への執着も死への恐れもない、無心の境地を示したとされる。

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寒時寒殺闍黎 熱時熱殺闍黎かんじはじゃりをかんさつし ねつじはじゃりをねっさつす

『碧巌録』第四十三則 通年

寒い時は寒さに、暑い時は暑さになりきれ、という語。

『碧巌録』第四十三則の、洞山とうざん和尚の問答に出る。ある僧が、寒さ暑さがやって来たらどう避ければよいか、と問うた。洞山とうざんは、寒暑のない所へ行けばよいと答え、それはどこかと重ねて問われて、この句を示した。洞山良价とうざんりょうかいは唐代の僧で、曹洞宗の祖とされる。

「闍黎じゃり」は阿闍梨あじゃりの略で僧の尊称、ここでは「お前さん」ほどの意。「殺」は意を強める助辞で、寒さ、暑さになりきることをいう。寒暑を比べてとらえるから苦しむのであり、なりきれば寒暑の中にあって寒暑を感じない、と解される。

禅僧の解説は、これを生死の問題と読む。生きる時は生に、死ぬ時は死に徹することが、生死を脱する道だという。

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鶴飛千尺雪つるはとぶせんじゃくのゆき

『圜悟語録』巻二 通年

鶴は千尺も積もった雪を蹴って飛び立つ、という語。

『圜悟語録』巻二に出る句で、「龍起一潭いったん氷」と対になる。圜悟克勤えんごこくごんは、自分の本性を離れない一句を言ってみよ、と問い、みずからこの句を詠んだという。圜悟は宋代の臨済宗の僧で、『碧巌録へきがんろく』を著した。

鶴は千尺も積もった雪原を蹴って大空へ飛び立ち、龍は一面に凍った淵を突き破って天に昇る。どんな困難も突き破り、備わった力を存分に発揮するさまをいう。悟った者がこの現実の中でその力をどう発揮するか、という問いに答えた語とも説かれる。

禅僧の解説は、圜悟がみずからのはたらきを詠んだ自負の句とし、禅が重んじる自信に結びつけている。

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和敬清寂わけいせいじゃく

出典不詳 通年

和・敬・清・寂の四字で、茶の湯の精神を表した語。

茶道の精神を表す語。裏千家の千宗室家元は、この語を利休居士が示したものとして挙げる。また「寂」を、自分の中の余計なものを捨て去ることだと述べている。

由来には諸説がある。『精選版 日本国語大辞典』は、大応国師が宋から持ち帰ったという劉元甫の『茶堂清規』に由来するとする。一方『日本大百科全書』は、利休の「四規七則」の四規として伝わるものの利休自身の語ではなく、初見は元禄期の序をもつ『茶祖伝』だとする。

和と敬は茶事で主客が互いに持つべき心得、清と寂は茶庭・茶室・茶道具に関わる心得をいう。和は亭主と客の和合を、敬は互いの思いやりを表すとする解説もある。

千利休

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一期一会いちごいちえ

『茶湯一会集』 通年

一生に一度きりの出会いと心得て、茶会に臨むべきことを説く語。

井伊直弼いいなおすけの『茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』に出る語として知られる。ただし直弼の独創の語ではないとされる。さかのぼると、千利休の弟子山上宗二の『山上宗二記やまのうえそうじき』に、露地に入ってから出るまで一期に一度の会のように亭主を敬え、という心得が見える。

一期は一生涯、一会は一度の出会いをいう。『茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』は、同じ主客が幾度会っても今日の会は二度と戻らないと思い、亭主は万事に心を配り、客もそれをわきまえて誠意をもって交わるべきだと説く。のちに茶の湯を離れ、人との出会いを大切にする意の一般語となった。

裏千家の千宗室家元は、水屋の支度から点前、しまい付けまでのすべてを一期一会の気持ちで行うよう説いている。

井伊直弼

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本来無一物ほんらいむいちもつ

『六祖壇経』 通年

本来、執着すべきものは何一つないという意。

『六祖壇経ろくそだんきょう』に見える、六祖慧能えのうの偈の一句。神秀じんしゅうが、身は菩提樹、心は明鏡の台のようなもので、常に拭い清めて塵をためるな、と詠んだ。寺男だった慧能えのうは、もともと実体などないのにどこに塵がたまろうか、と応じた。この偈によって慧能えのうは五祖弘忍ぐにんに認められ、六祖となったと伝わる。

辞典では、存在するものは本来すべて空であり、わが物として執着すべきものは一つもない、という意とされる。禅僧の解説は、「本来」を本質的・根源的の意、「無」を有と無を超えた次元と解し、何も無いということではないとする。

偈の結句には「何処惹塵埃」「何処有塵埃」などの字句の違いが伝わる。

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看脚下かんきゃっか

『五家正宗賛』 通年

足もとを看よ。外に求めず、まず自分の足もとを見つめよという意。

宋代の五祖法演ごそほうえんにまつわる故事に基づく語。法演が弟子と夜道を行くとき、風で灯りが消えた。闇の中をどう進むかと問われ、弟子たちが一句ずつ答えたなかで、圜悟克勤えんごこくごんの「看脚下」だけを法演が認めたという。出典を『五家正宗賛』とする説がある。別の解説は「看却下(脚下を看よ)」を『大慧語録』七の語に挙げる。圜悟克勤えんごこくごんは法演の法を嗣ぎ、『碧巌録へきがんろく』を著した僧である。

文字どおりには「脚下を看よ」。禅寺の玄関に掲げられ、履物をそろえよという日常の戒めとしても使われる。禅の教えとしては、迷ったときにも答えを外に求めず、まず自己の足もとを見つめよという意に解される。同じ趣旨の語に「脚下照顧きゃっかしょうこ」があり、辞典は自己反省や日常生活の直視を促す語とする。

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随処作主ずいしょにしゅとなる

『臨済録』示衆 通年

どこにいても主体性を失わず、その場の主となれという意。

『臨済録りんざいろく』示衆に見える臨済義玄りんざいぎげんの語。「随処に主と作れば、立処りっしょ皆な真なり」と続く。『臨済録りんざいろく』は臨済義玄りんざいぎげんの語録で、上堂・示衆・勘弁・行録あんろくの四部からなり、禅の語録の典型とされる。

どこへ行っても主体性を失わず主人公となれば、その人の行いに間違いはない、という意。それぞれの置かれた立場や環境でなすべき務めを尽くせば、真価を発揮できるとも説かれる。山田無文老師は、これを勝手気ままに振る舞えということではなく、どこへ行ってもその場所を愛せよということだと解した。

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行雲流水こううんりゅうすい

『宋史』蘇軾伝 通年

空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、自然に任せる姿のたとえ。

辞典は出典を『宋史』蘇軾そしょく伝とする。蘇軾そしょくの「謝民師推官に与ふるの書」を出典とする辞典もあり、図書館の調べでは両方にこの語句が確かめられている。蘇軾そしょくは北宋の文人で、号は東坡居士とうばこじ。

空を行く雲と流れる水の姿から、物事に執着せず、自然の成り行きに任せて滞りなく動くことのたとえとされる。禅の修行僧を「雲水」と呼ぶのも、雲や水のように一所にとどまらず自在に歩む姿によるといわれる。

山田無文老師は、雲も水も行じようと思わずに自然に動いている、あたりまえの世界をあたりまえに生きることが仏法だ、と説いた。

出典

独坐大雄峰どくざだいゆうほう

『碧巌録』第二十六則 通年

いまここに、どっかりと坐っていることこそが尊いという意。

『碧巌録へきがんろく』第二十六則に見える百丈懐海ひゃくじょうえかいの語。僧が「如何なるか是れ奇特の事」(この世で最も素晴らしいことは何か)と問うと、百丈は「独坐大雄峰」と答えた。百丈は唐代の禅僧で、大雄峰に建てられた百丈山の寺に住み、禅院の規範「百丈清規ひゃくじょうしんぎ」を定めたことで知られる。

この百丈山にこうしてどっかりと坐っていること、という意。地位や名誉や財産より、今ここに生きていること自体が尊いと解される。のちに大燈国師だいとうこくしも、この問答の真意を僧に問われ、容易には分からない境地だと答えている。

出典

日出乾坤輝 雲収山嶽青ひいでてけんこんかがやき くもおさまってさんがくあおし

『禅林類聚』巻二 通年

日が昇れば天地が輝き、雲が消えれば山の緑が鮮やかに現れる。

もとは『禅林類聚ぜんりんるいじゅう』巻二に出る語で、白隠はくいんの『槐安国語かいあんこくご』巻一にも見える。『槐安国語かいあんこくご』は、白隠はくいんが大燈国師だいとうこくし(宗峰妙超しゅうほうみょうちょう)の語録に評唱を加えた書である。そこでは仏誕生の日の上堂で、釈尊の「天上天下唯我独尊」の意を問われた大燈国師だいとうこくしが、「日出でて乾坤けんこん輝く」と答えている。

太陽が顔を出せば天地は輝き、雲が消え去れば山の青々とした緑が鮮やかになる、という情景をうたう。禅語としては、迷いの雲があっても生まれながらの仏心は消えておらず、その太陽が輝き出せば世界も輝いて見える、と解される。「雲収」を「雨収」とする本もある。

禅僧の解説は、床の間に掛けられたときも情景だけを味わうのではなく、そこに人生の意味を受け取るべきだとする。

出典

落花有意随流水 流水無心送落花らっかはいありてりゅうすいにしたがい りゅうすいはこころなくしてらっかをおくる

『従容録』五十二 通年

散る花は心あって流れに従い、流れる水は無心に花を送る。

出典を『従容録しょうようろく』五十二とする説がある。『従容録しょうようろく』は元代の禅書で、万松行秀ばんしょうぎょうしゅうが宏智正覚わんししょうがくの『頌古じゅこ百則』に評唱などを加えたもの。『碧巌録』と並ぶ禅門の宝典とされ、とくに曹洞宗で重んじられる。

散った花は自ら望むように流水に身をまかせ、水は花を乗せていることに頓着せず無心に流れていく。禅僧の解説は、ただ無常を詠んだのではなく、有意の落花と無心の流水との協奏をいうものと解し、禅者の目には有意も無心もひとしく美しく映るのだろうとする。

なお一般の辞典では「落花流水」を、男女が互いに思い合うことのたとえとしても挙げる。

出典

竹密不妨流水過 山高豈碍白雲飛たけみつにしてりゅうすいのすぐるをさまたげず やまたかくしてあにはくうんのとぶをさまたげんや

『伝灯録』二十(永安善静章) 通年

竹が密でも水は流れ過ぎ、山が高くても白雲は飛んでいく。

禅僧の解説は出典を『伝灯録でんとうろく』二十、永安善静章とする。ある僧が楽普らくほの善静和尚のもとを去るとき、善静は、周りは山ばかりだがどこへ向かうのか、と問うた。僧が答えられずにいると、善静が代わってこの句を示した。『伝灯録でんとうろく』は『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』の略称で、北宋の景徳元年(1004)に成った三十巻の禅宗史書である。

竹がどれほど密に生えていても水はさらさらと流れ、山がどれほど高くても白雲はふわりと飛んでいく。問題だらけの日常をどう生きるかという問いへの答えとして、雲や水のこだわりのない姿を示したものと解される。

出典

水和明月流みずはめいげつにわしてながる

『五灯会元』巻十九 通年

流れる水が明月の光と和して、美しく流れていく。

『五灯会元ごとうえげん』巻十九に見える語。

流れる水に月の光がさし、月の光と水とが相和して美しい流れとなる。水は三日月でも満月でもそれを厭わず映して流れ、月の光にとらわれて流れを止めることもない。明月も無心、水も無心で、無心なものどうしが縁をもって美しい世界を現す、と解される。

禅僧の解説は、これを茶室にあてはめる。無心の亭主と無心の客とが茶室という場を縁として、和敬清寂わけいせいじゃくの世界を現すという。和敬清寂わけいせいじゃくは、主客の心得と茶室・道具の心得を説く、茶道の精神を表す語である。

出典

銀椀裏盛雪ぎんわんりにゆきをもる

『碧巌録』第十三則 通年

銀の椀に雪を盛る。見分けのつかない一つの境をいう。

『碧巌録へきがんろく』第十三則に見える巴陵顥鑑はりょうこうかんの語。ある僧が「如何なるか是れ提婆宗」と問うと、巴陵は「銀椀裏に雪を盛る」と答えた。巴陵は雲門文偃うんもんぶんえんの弟子で、師の雲門は、この句を含む巴陵の三転語を高く評価したという。提婆宗とは、インドの祖師迦那提婆の宗旨をいう。

白銀の椀に降ったばかりの雪を盛ると、陽の光の中で椀と雪の見分けがつかなくなる。そこに分け隔てのない一如の世界を見たものと解される。それでも椀は椀、雪は雪であり、一つでありながら別々でもある、とも説かれる。山田無文老師は、その清潔で高雅な言葉の響きをたたえた。

出典

寒流石上一株松かんりゅうせきじょういっしゅのまつ

『三体詩』 通年

冷たい流れの中の石の上に、一本の松が根を張って立つ情景。

『三体詩さんたいし』に収める盧仝ろどうの詩「鄭三ていさんの山に遊ぶに逢う」の結句。君と出会った所は草が生い茂り、切り立った崖と峰々が幾重にも続く。いつかまた会うならどこがよいか、寒流の中の石の上に松が一本生えている辺りはどうか、と詠む。

『三体詩さんたいし』は南宋の周弼しゅうひつが編んだ唐詩の選集で、日本では室町時代に翻刻され、とくに禅僧の間で愛好された。

禅僧の解説は、根を張る土もない石の上で、寒風や濁流に耐えて立つ老松の姿に、人生の山や谷を一つずつ乗り越えて生きる在り方を見ている。

出典

雪後始知松柏操せつごはじめてしるしょうはくのみさお

『圜悟語録』四 通年

雪の後に初めて、緑を失わない松柏しょうはくの操の堅さが分かる。

出典を『圜悟語録』四とする説がある。「事難くして方めて見る丈夫の心」と対になる句である。圜悟は『碧巌録へきがんろく』を著した宋代の禅僧、圜悟克勤えんごこくごんである。

雪に耐えても緑を失わない松や柏を見て、その操の堅さが初めて分かる。人の揺るぎない心も、困難に出会って初めて見えるという意。苦労の値打ちは後になって分かる、と説かれる。

松柏しょうはくは常緑の松とこのてがしわで、節を守って変えないことのたとえ。『論語』子罕しかんの「歳寒くして然る後に松柏しょうはくの凋むに後るるを知る」による「歳寒の松柏しょうはく」という成語もある。

出典

曹源一滴水そうげんのいってきすい

『碧巌録』 通年

六祖慧能えのうから流れ出た正伝の禅を、一滴の水にたとえた語。

『碧巌録へきがんろく』の語とされる。曹源とは曹渓そうけいの源のことで、曹渓そうけいは六祖慧能えのうを指す。慧能えのうは曹渓そうけい山宝林寺に住んだ。達磨から続いた禅は慧能えのうによって大成し、のちに五家七宗に分かれて日本にも伝わった。

その源をたどれば、すべて曹渓そうけいの一滴の水から流れ出たものである。そこから禅の根本、正伝の仏法を「曹源の一滴水」という。

江戸末期から明治の禅僧滴水宜牧てきすいぎぼくは、岡山の曹源寺そうげんじで修行中、残り水を無造作に捨てて師の儀山ぎざんに大喝された。この一喝を肝に銘じて号を滴水と改めたと伝わり、のちに天龍寺の管長となった。禅僧の解説は、茶人が釜から汲んだ湯の半杓を釜に戻すことにも触れている。

出典

無一物中無尽蔵むいちもつちゅうむじんぞう

『東坡禅喜集』 通年

何も持たない心にこそ、尽きることのないはたらきがあるという意。

宋代の士大夫で禅を信奉した蘇軾そしょく(蘇東坡)の句とされ、禅僧の法話は『東坡禅喜集』から四句の詩を引き、その第三句に置く。続く句は「花有り月有り楼台有り」。禅僧の解説は、白隠慧鶴はくいんえかくが大燈国師だいとうこくしの語録を評唱した『槐安国語かいあんこくご』を出典に挙げる。

無一物とは、すべてのものは因縁によって成り、それ自体として実在しない、空であるということ。執着するもののない澄みきった心は明鏡にたとえられる。鏡は花が来れば花を、月が来れば月をそのまま写し、とどめない。その自在なはたらきが尽きないことを無尽蔵という、と解される。真っ白な心でいるからこそ美しい世界が限りなく現れる、とも説かれる。

出典

平常心是道びょうじょうしんこれどう

『無門関』第十九則 通年

いつも通りの心こそが、そのまま仏の道であるという意。

『無門関むもんかん』第十九則、南泉なんせんと趙州じょうしゅうの「如何なるか是れ道」をめぐる問答に出る語。唐代の禅僧の南泉なんせんが、弟子の趙州じょうしゅうに示した言葉として知られる。精選版日本国語大辞典も「平常心(びょうじょうしん)」を仏語とし、『無門関むもんかん』の一九を挙げる。

禅語としては「びょうじょうしん」と読む。ふだん通りの心という「へいじょうしん」の意とは分けて、何事にもとらわれない心の意とする解説がある。また、平常心は怒らない心や迷わない心ではなく、うれしさや悲しみの動きを、そのまま知っている心だとも説かれる。特別な境地を求めず、日々の営みの中にすでに道がある、と解される。

出典

直心是道場じきしんこれどうじょう

『維摩経』菩薩品 通年

まっすぐな心を保つことそのものが、修行の道場だという意。

『維摩経ゆいまぎょう』菩薩品に出る語。『維摩経ゆいまぎょう』は、在家の居士維摩と文殊菩薩もんじゅぼさつとの問答を通して空の思想を説く大乗経典である。

直心じきしんは、真っすぐな心、素直な心、真実にぴったり合った心など、幅のある語。辞書は仏語として、正しくまっすぐな心とする。そうした直心じきしんを身につけるのはたやすくなく、直心じきしんを保つこと自体が自分を鍛える道場にほかならない、と解される。

裏千家の行事報告(2024年)によれば、埼玉中央青松会の発会式に先立つ記念茶会で、家元から発会の記念に贈られた「直心じきしん是道場」の色紙が掛けられた。

出典

一行三昧いちぎょうざんまい

『六祖壇経』 通年

何をするにも、そのこと一つに心をこめて打ちこむこと。

『六祖壇経ろくそだんぎょう』を出典に挙げる説がある。『六祖壇経ろくそだんぎょう』は、禅宗第六祖の慧能えのうの説法を弟子の法海ほうかいが記録したものとされる語録である。

三昧は梵語サマディーの音訳で、心を一つの対象に集中すること。この三昧と「常に一直心いちじきしんを行ず」という言葉が合わさって、一行三昧の語が生まれたとされる。直心は「直心是道場」の直心で、混じりけのない、分別や執着のない心をいう。いつでも、どこでも、何をするにしても、そのことに純一であれ、という意と解される。

辞書では仏語として、一つの修行に専心すること、特に念仏三昧をいうとし、転じて一つの事に専心する意にも用いる。

出典

莫妄想まくもうぞう

出典不詳 通年

妄想もうぞうするな、思いはからう分別心を捨てよという意。

無業むごう和尚(760〜821)は、誰に何を問われても「莫妄想もうぞう」と答えて一生を通したと伝えられる。鎌倉時代には、元の来襲が迫るなか、北条時宗ほうじょうときむねが参禅の師の無学祖元むがくそげんに心構えを問い、祖元が「莫妄想もうぞう」と大書して与えたという逸話がある。出どころの禅籍は、確かめた出典には示されていない。

「妄想もうぞうする莫かれ」と読めるが、「まくもうぞう」とそのまま読むほうが禅的だとされる。妄想もうぞうは一般には実体のない想念をいう。禅ではさらに、生死・善悪・是非のように物事を二つに分けて、その一方に執着する分別心そのものを妄想もうぞうとみる。辞書も、悟りを得るには思惟分別の心を捨てよという意とする。

出典

喝かつ

『臨済録』 通年

禅僧が、言葉で示せない境地を示し、修行者を導くために発する叫び声。

禅宗で唐代以降、言葉の及ばない禅の極意を弟子に示し、また修行者を叱咤するために用いられた叫び声。始まりは馬祖道一ばそどういつと百丈懐海ひゃくじょうえかいの師弟の間とされ、百丈は馬祖に一喝されて三日耳が聞こえなかったと述懐したという。

この喝に文字どおり活を吹き込んだのは臨済義玄りんざいぎげんとされ、「徳山とくさんの棒、臨済の喝」といわれる。『臨済録りんざいろく』には「師便ち喝す」の場面が随所にあり、臨済は喝のはたらきを四つに分けた(臨済四喝)。金剛王宝剣のような喝、踞地金毛こじきんもうの獅子のような喝、探竿影草たんかんようぞうのような喝、一喝の用をなさない喝である。

のちには葬儀の引導にも用いられた。なお、もとは「喝」という語そのものを大声で言うものではなかったとする仏教辞典もある。

出典

渓声便是広長舌 山色豈非清浄身けいせいたちまちこれこうちょうぜつ さんしょくあにしょうじょうしんにあらざらんや

『碧巌録』第三十七則 通年

谷川の音は仏の説法、山の姿は仏の清らかな身そのものだという意。

北宋の蘇軾そしょく(蘇東坡)の詩句。『碧巌録へきがんろく』第三十七則の頌の評唱で、圜悟克勤えんごこくごんが引いている。元の詩は七言絶句「東林の総長老に贈る」(贈東林総長老)で、道元の『正法眼蔵しょうぼうげんぞう』「渓声山色けいせいさんしょく」の巻にも引用される。

夜に坐禅をしていると、谷川のせせらぎが釈尊の説法と聞こえ、山の姿が釈尊の清らかな身に見えてくる、という意。広長舌こうちょうぜつは仏の三十二相の一つで、仏の舌が広く長いことをいう。身のまわりの自然が、そのまま仏の説法であり仏の姿である、と解される。

出典

竹影掃階塵不動 月穿潭底水無痕ちくえいかいをはらってちりどうぜず つきはたんていをうがってみずにあとなし

『密庵咸傑語録』 通年

竹の影が階を掃いても塵は動かず、月が池の底を照らしても水に跡はない。

『密庵咸傑みったんかんけつ語録』に見える句。密庵咸傑みったんかんけつは南宋の臨済宗の僧である。その法語の墨跡は大徳寺竜光院りょうこういんに伝わり、これを掛けるために茶室密庵席に密庵床が設けられたといわれる。

月夜、欄干に映った竹の影が風に揺れても、欄干の塵は少しも動かない。解説は「堦」を欄干と取る。月は深く澄んだ池の底まで影を落とすが、水面に跡を残さない。自然が無心のうちに示す動と静の調和をうたった句で、禅者はこうした風景を「現成公案げんじょうこうあん」と呼んで好む、と解される。解説はここから、忙しく働くときも心は動かない「動中の静」を説く。

出典

一池荷葉衣無尽 数樹松花食有余いっちのかようえするにつくるなし すうじゅのしょうかしょくするにあまりあり

『五灯会元』 通年

池の蓮の葉で着る物は足り、数本の松で食べる物は余るという意。

唐の大梅法常だいばいほうじょう(752〜839)の偈で、『五灯会元ごとうえげん』に見える。大梅は馬祖道一ばそどういつに「如何なるか是れ仏」と問い、「即心是仏そくしんぜぶつ」の答えで悟って、大梅山に草庵を結んだ。山で道に迷った塩官えんかん門下の僧からその話を聞いた塩官えんかんが、大梅を招こうとしたとき、偈で答えて断ったという。

荷葉かようは蓮の葉。一つの池の蓮の葉があれば着る物は尽きず、数本の松があれば食べる物に余りがある。徹底した粗衣粗食のなかで、自然とともに悠々と暮らす禅者の境涯を示す。解説は、ここから「足るを知る」生き方を読み取る。

出典

月在青天水在瓶つきはせいてんにあってみずはへいにあり

『槐安国語』 通年

月は空に、水は瓶にと、それぞれがあるべき所にあるという意。

唐の薬山惟儼やくさんいげん(745〜828)と、教えを求めて訪ねた李翺りこうとの問答に出る語。李翺りこうが「如何なるか是れ道」と問うと、薬山は天と浄瓶じんびんを指して「わかったか」と言い、わからないと答えた李翺りこうに「月は青天に在って水は瓶にあり」と示した。李翺りこうは唐代の学者で、仏教思想を取り入れて心性論に新しい説を出したとされる。出典を『槐安国語かいあんこくご』とする説がある。

月は青空に輝き、水は瓶に静かに収まっている。見たまま、聞いたままのありようのほかに法はなく、当たり前のことを当たり前に行うほかに道はない、と解される。

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枯木倚寒巌 三冬無暖気こぼくかんがんにより さんとうだんきなし

『五灯会元』巻六 通年

枯れ木が冷たい岩に寄り、冬のさなかで温もりもないという意。

『五灯会元ごとうえげん』巻六の「婆子焼庵ばすしょうあん」の公案に出る語。ある婆子ばすが一人の庵主あんじゅを二十年供養し、ある日、給仕の娘に庵主あんじゅへ抱きつかせて心境を問わせた。庵主あんじゅはこの句で冷然と突き放した。それを聞いた婆子ばすは、俗物を供養してしまったと言って僧を追い出し、庵を焼いたという。

欲を断ちきった清らかな境地を示すが、人々の悩みに応じる温もりを欠いた境地でもある、と解される。辞書では「枯木寒巌」を情味のないことの形容とする。

沢庵宗彭たくあんそうほうが書いた「枯木倚寒巌」の一行書が、品川の東海寺とうかいじにある。東海寺とうかいじは徳川家光が沢庵を開山として建てた寺である。

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青山元不動 白雲自去来せいざんもとうごかず はくうんおのずからきょらいす

『五灯会元』 通年

白雲が自由に行き来しても、青い山はもとより動かないという意。

『五灯会元ごとうえげん』の語とされる。

青山は青い山に限らず、雨が降っても風が吹いても動じない山をいう。白雲はどこからともなく湧き、山に遮られずに自由に行き来するが、山は悠々として少しも動かない。前後を入れ替えて「白雲自ずから去来すれども、青山元と動かず」と読むと意味がはっきりする、という。周りのさまざまな現象に心をとらわれず、泰然とわが道を貫け、と解される。

掛け軸の「白雲去来」の意味を問うた図書館のレファレンス事例は、『茶席の禅語大辞典』が類語として「白雲自去来」を挙げると紹介している。

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無む

『無門関』第一則 通年

有る無しを超えた「無」を示す、趙州じょうしゅう和尚の一字の答え。

『無門関むもんかん』第一則「趙州じょうしゅう無字」の語。ある僧が趙州じょうしゅう和尚に、犬にも仏性があるかないかと問うた。趙州じょうしゅうはただ「無」と答えた。

無門慧開むもんえかいはこの無を、虚無の無でも、有無の無でもないと示している。有か無かという固定した見方を打ち破るための公案とされ、古来、入門者には通りにくい難問とされてきた。

禅の修行では、志を立てた者がまずこの公案に参じる。寝ても覚めても無の一字に取り組み、自他・有無・生死の区別のない境地に至ることが求められると説かれる。

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生死事大しょうじじだい

『景徳伝灯録』巻五 通年

生き死にの問題こそが最も大事だという、修行者への戒め。

禅寺の坐禅堂に掛かる板木はんぎには「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」の句が書かれる。修行者が道場に入門を乞うときの挨拶語の一つともいわれるが、この四句の出典は不詳とされる。一方で、『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』巻五の永嘉玄覚ようかげんかくの章に「生死事大、無常迅速、時人を待たず」の句があるとする解説もある。

財産や地位があっても、生死の問題は避けて通れない。生死を明らめることが禅者の一大事であり、時は人を待たずに過ぎるから一刻を惜しんで励め、という意である。辞書では、迷いを捨てて悟りを開くのは人と生まれた今をおいてほかになく、最も大事なことだと説明され、多く「無常迅速」と対で用いられるとされる。

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拈華微笑ねんげみしょう

『大梵天王問仏決疑経』 通年

言葉によらず、心から心へ法が伝わったことを示す故事。

釈尊が霊鷲山りょうじゅせんで大衆に花をひねって示した。だれもその意味がわからず黙っていたが、摩訶迦葉まかかしょうだけがほほえんだ。釈尊は仏法の真髄を迦葉かしょうに授けたという。『五灯会元』巻一にこの話が見える。

北宋代の偽経『大梵天王問仏決疑経だいぼんてんのうもんぶつけつぎきょう』に初めて見える話で、宋代以降の禅宗で盛んに用いられ、『無門関』にも収められる。禅宗では、悟りは知識や分別ではつかめず、文字や言葉によらずに伝わるとする「以心伝心」「不立文字ふりゅうもんじ」の立場を根拠づける話とされた。

禅僧の法話は、迦葉かしょう尊者に法を伝えたときの様子を表した語句と説明している。

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不立文字ふりゅうもんじ

『都序』 通年

悟りは文字や言葉では伝えられないという、禅宗の根本の立場。

禅宗の立場を表す語の一つ。唐代の『都序とじょ』などでは、達磨だるまのことばとされる。「教外別伝きょうげべつでん、不立文字、直指人心じきしにんしん、見性成仏けんしょうじょうぶつ」の四句がそろって現れるのは、宋代の『祖庭事苑そていじえん』が最初である。

悟りの内容は文字や言説では伝わらず、師の心から弟子の心へ直接伝わるという意。辞書では、経論は悟りのための手段にすぎないとしてしりぞけ、経論を超えることを示した語と説明される。教外別伝きょうげべつでんや以心伝心の語と結びつけて使われることが多い。禅僧の解説は「直指人心じきしにんしん 見性成仏けんしょうじょうぶつ」とともに、禅の特性を表す代表的な語に挙げる。

禅僧が描く達磨だるまの画の賛には、「不立文字、教外別伝きょうげべつでん」がよく書かれる。

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廓然無聖かくねんむしょう

『碧巌録』 通年

からりと晴れた大空のように、聖も凡もないという達磨だるまの答え。

梁りょうの武帝ぶていが達磨だるま大師に、この上ない仏法とは何か(聖諦しょうたい第一義)と問うた。達磨だるまはこれに「廓然かくねん無聖」と答えた。『碧巌録へきがんろく』にある語で、『景徳伝灯録けいとくでんとうろく』巻三にも見える。寺を建て写経をした自分の功徳を問う武帝ぶていに、達磨だるまが「無功徳むくどく」と答えた話と続けて語られる。

「廓然かくねん」は大空がからりと晴れあがったさまで、大悟の境地を形容する。悟りの境地には聖人と凡夫の区別がない、という意。禅僧の法話は、聖と凡、迷いと悟り、善と悪といった二つに分ける見方を一刀に断ち切った語と説く。

十月五日の達磨だるま大師の命日のころの法話で、秋晴れの空にたとえて取り上げられることがある。

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知足ちそく

『老子』第三十三章 通年

足ることを知り、自分の持ち分に満足して欲張らないこと。

『老子』第三十三章の「足るを知る者は富む」に基づく語。『老子』第四十六章にも、足ることを知って満ち足りれば常に足りる、という句がある。仏典では『仏遺教経ぶつゆいきょうぎょう』が、足るを知る人は地べたに寝ても安楽で、足るを知らない人は天の宮殿にいても満たされない、と説く。

自分の持ち分に満足して安んじ、欲張らないこと。禅僧の法話は、知足を、現状に満足するという後ろ向きな意味ではなく、今あるものを生かし切って生きる前向きな言葉と説く。臨済宗妙心寺派は、原子力発電に頼らない社会をめざす活動の標語にこの語を掲げた。

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一無位真人いちむいのしんにん

『臨済録』上堂 通年

この肉体に、どんな枠にもはまらない真実の自己がいるという臨済の語。

『臨済録りんざいろく』上堂の語。禅僧の解説は「赤肉団しゃくにくだん上に一無位の真人むいのしんにんあり、常に汝ら諸人の面門より出入す」の形で挙げる。臨済義玄りんざいぎげんが弟子たちに、この身体の中に、形を限定できない真実の「人」が一人いて、いつも五官を通して出入りしている、まだ見ていない者は見よ、と説いた。『臨済録りんざいろく』は臨済義玄りんざいぎげんの語録で、上堂・示衆・勘弁・行録あんろくの四部からなる。「赤肉団しゃくにくだん上に一無位の真人むいのしんにんあり」はその名句の一つに数えられる。

「赤肉団しゃくにくだん」はこの肉体、「無位の真人むいのしんにん」は禅者が求めるべき真実の自己である。地位や肩書き、学歴へのとらわれや見栄を捨てたところにある本当に強い自分、つまり仏を指すと説かれる。「無」の公案の解説では、仏性を臨済は「無位の真人むいのしんにん」と言った、と述べられる。

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枯木再生花こぼくふたたびはなをしょうず

『碧巌録』第二則 通年

枯れ木が再び花を咲かせる。大死一番だいしいちばんののちに蘇る境地のたとえ。

『碧巌録へきがんろく』第二則の頌じゅへの下語あごに出る。第二則は趙州じょうしゅう和尚と僧の「至道無難しいどうぶなん」の問答で、雪竇せっちょうがこれに頌じゅを付け、のちに圜悟えんごが短い評語である下語あごを加えた。頌じゅの「枯木龍吟、銷して未だ乾かず」に、圜悟えんごが「枯木再び花を生ず。達磨唐土に遊ぶ」と付けた。

修行で思慮分別や煩悩妄想を払い、すべてが無になる「大死一番だいしいちばん」に至る。そこに止まらず、再び柳は緑、花は紅の明るい世界に蘇る。その消息をこの語でいう。喜怒哀楽を一度捨て切ったところから、無心に情をゆたかに表していく人間性の復活と読む解説もある。

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四海浪平龍睡穏 九天雲静鶴飛高しかいなみたいらかにしてりゅうのねむりおだやかなり きゅうてんくもしずかにしてつるのとぶことたかし

『圜悟録』巻一 通年

四方の海は波静かで龍は眠り、空には鶴が高く舞う。めでたい境地。

『圜悟録』巻一などに見える語とされる。「四海」は中国のまわりに四つの海があるという発想から出た語で、全世界をさす。「九天きゅうてん」は八方と真上の空を合わせた、空全体のこと。辞書でも九天きゅうてんは、天を九つの方位に分けた称、また高い天とされる。

四方の海は波も立たず、龍は穏やかに眠る。空の雲は静かにたなびき、鶴が高く舞う。環境と、そこにいる龍や鶴が互いを否定せずに調和したさまで、臨済の四料簡しりょうけんでいう「人境倶不奪」、すべてがありのままにある境地と解される。

禅僧の解説によれば、めでたい句で正月の床にふさわしいものの、日本ではあまり床の間に掛けられない。四や九の数字が好まれないためか、とする。

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只在此山中 雲深不知処ただこのさんちゅうにあらん くもふかくしてところをしらず

『唐詩選』 通年

この山の中にいるはずだが、雲が深くて居場所がわからない。

唐の詩人賈島かとうの詩「隠者を尋ねて遇わず」の後半二句で、『唐詩選』に収める。松の下の童子に隠者の行方を尋ねると、先生は薬草を採りに出かけた、この山の中にはいるはずだが、雲が深くてどこかわからない、と答える。賈島かとうは「推敲すいこう」の故事で知られる。

禅では、『無門関むもんかん』第四十七則「兜率とそつ三関」の、今お前の仏性はどこにあるかという問いとあわせて味わう。仏性は遠いどこかではなく自分の心の中にあるのに、迷いという雲のために見失っている。その様子をこの句で評すると解される。

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山中無暦日 寒尽不知年さんちゅうれきじつなし かんつくるもとしをしらず

『唐詩選』 通年

山の中には暦もなく、冬が過ぎても今年が何年かを知らない。

『唐詩選』に収める太上隠者たいじょういんじゃの「人に答うる」の句。偶然松の木の下に来て、石を枕にぐっすり眠る。山の中には暦がなく、寒さが尽きても今年が何年かを知らない、とうたう。

世間を離れて山中でのんびり暮らすと、歳月の過ぎるのを忘れる、という意。禅の解説では、一切を放下して、時間にも空間にもとらわれない、ゆったりとおおらかな心境をいうと解される。茶席でゆったりした心配りを受けて時の経つのを忘れるとき、その茶席こそが「山中」だ、とも説かれる。

一絲文守いっしぶんしゅの生涯を、この句のいう「山中、暦日なき一生」であったと評する解説もある。正保三年(1646)の除夜に一絲が詠んだ詩は、はからずも辞世となったという。

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話尽山雲海月情かたりつくすさんうんかいげつのじょう

『碧巌録』第五十三則 通年

山の雲や海の月のような清らかな心を、心ゆくまで語り合う。

『碧巌録へきがんろく』第五十三則の頌じゅに出る語。

山の上の雲も海の上の月も、世俗を超えた清らかな風光である。そこから、道を究めた人どうしが会って、互いの信念や胸の内を心ゆくまで語り合うことをいうと解される。また山雲海月をすべての人の心とみて、知音ちいんどうしが貴賤貧富の別や利害を離れ、夜の更けるのも忘れて語り尽くす意とも解される。

五山文学の義堂周信ぎどうしゅうしんと絶海中津ぜっかいちゅうしんが、時を忘れて語り合った逸話がこの語の例に引かれる。二人はともに土佐の人で、五山文学の双璧といわれる。

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風吹不動天辺月 雪圧難摧澗底松かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき ゆきおせどもくだけがたしかんていのまつ

『普灯録』 通年

風にも動じない空の月、雪にも折れない谷底の松。揺るがぬ信念のたとえ。

『普灯録』の句とされる。

大風が吹けば地上の塵は飛び散り、草木は揺れ、雲も形を変えて流れ去る。しかし天上の月は少しも動じない。大雪が降れば雑木は折れるが、日頃雨風に打たれて谷底に育った松は、雪ぐらいでは折れない。「澗底かんてい」は谷の深いところ。月と松にたとえて、何事にも動じない信念と、困難にくじけない意志の大切さを示すと解される。

臨済宗の寺の掲示伝道で、花園会のカレンダーの墨跡として九月に掲げられた例がある。

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関かん

『碧巌録』第八則 通年

関所のこと。透り抜ければ四方どこへでも自在に行けると説かれる。

「関」の一字は『碧巌録』第八則「翠巌眉毛」に出る。夏安居の終わりに翠巌和尚は、説法を誤ったり説きすぎたりすると眉毛が抜け落ちるというが、わしの眉毛はまだあるか、と修行者に問うた。保福、長慶に続いて、雲門は「関」と答えた。禅門で透るのが難しいとされる「雲門の関」の公案である。

大徳寺開山の大燈国師だいとうこくしは、師の大應国師からこの公案を与えられて透過した。その投機の偈に「一回雲関を透過し了り、南北東西活路通ず」とある。

千宗室家元は「関 南北東西活路通」という軸を、『碧巌録』の一節から取られたものとして紹介する。関は閂かんぬきの掛かった関所で、そこを抜ければ何の束縛もなくどこへでも行けるという。茶の湯の稽古も点前のたびに関所の前に立つようなもので、その門とは自分自身だと説く。

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