能阿弥のうあみ
室町時代の中ごろ、将軍の足利義教・義政に仕えた同朋衆(将軍のそばで雑用や美術工芸品の鑑定、芸能などを受け持った僧の姿の人々)。中国から渡ってきた美術工芸品(唐物)の鑑定や座敷の飾り方を受け持ち、水墨画や連歌にも優れた。
何をした人か
- 将軍家が持つ唐物や書画の管理、表装、鑑定、座敷飾りを担当した。
- 将軍家に伝わった約90点の中国絵画を記した目録『御物御画目録』(ごもつおんえもくろく。ぎょもつおんえもくろくとも読む)を編んだとされる。
- 水墨画に優れ、宋・元の絵、とくに牧谿を慕った。代表作は「白衣観音図」。
- 連歌師としても名高く、宗祇が挙げた「七賢」の一人に数えられた。
- 座敷飾りの方式などを記した秘伝書『君台観左右帳記』の著者と伝わる。
生涯
1397年に生まれた。姓は中尾で、真能とも称した。足利義教・義政に仕える同朋衆となった。1436年(永享8年)以降の活躍の記録が残る。
将軍家の唐物や書画の管理、表装、鑑定、座敷の飾りつけを受け持った。唐物とは、中国から舶載された美術工芸品のことをいう。『君台観左右帳記』は、中国絵画の作者や座敷飾りの方式、道具について記した書で、能阿弥がほぼ整えたものを孫の相阿弥が大成したと伝わる。ただし精選版日本国語大辞典は、能阿弥の奥書の日付(1476年)が能阿弥の没後にあたるため疑わしく、偽書とする説もあると書く。
水墨画は牧谿の影響が強く、柔らかな描線と、しっとりした墨の色が特徴とされる。連歌では宗祇の七賢の一人に数えられ、作品は『竹林抄』『新撰菟玖波集』に収められた。茶の湯では、実務と指導にあたったとされる。旺文社日本史事典は能阿弥を「東山流茶道の祖」とし、書院飾りの法式を考え、台子飾りの様式を定めたとする。日本大百科全書によると、のちの村田珠光は能阿弥から『君台観左右帳記』の相伝を受けた。
1468年(応仁2年)の年紀がある「白衣観音図」が、能阿弥の作の基準作とされる。1471年(文明3年)8月、75歳で亡くなった。子の芸阿弥、孫の相阿弥も同じ職を継ぎ、三人は「三阿弥」と呼ばれる。
いまの茶道に残るもの
座敷の飾り方を記した秘伝書『君台観左右帳記』は、能阿弥の著と伝わり、孫の相阿弥が大成したとされる。表千家は、こうした幕府の部屋飾りを定めた書に、茶の湯を準備する部屋の様子や道具が記されるようになったことを、「茶の湯」が成り立っていく時代の動きとして挙げる。旺文社日本史事典は、能阿弥らの東山流の茶が、のちに千利休に吸収されたとする。
伝わる話
逸話として伝わるもので、史実とは限らない。
- 村田珠光は、能阿弥の推薦で将軍足利義政に仕えたと伝わる。ただし日本大百科全書は、事実とは考えにくいとしている。
年表から
- 1476同朋衆と『君台観左右帳記』