松風茶の湯の暦と銘

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掛物と史料

茶人が床に掛けて大事にしてきた墨蹟や絵と、茶の湯の歴史を伝える茶書・茶会記・書状。どんなものか、茶の湯とどう関わるかを一点ずつ。画像は使用の条件を確かめたものだけを載せ、出どころを添えている。

掛物

虎丘紹隆宛印可状(流れ圜悟)
虎丘紹隆宛印可状(流れ圜悟) 圜悟克勤筆 北宋・宣和6年(1124)
東京国立博物館(国宝)出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TB-1171?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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虎丘紹隆宛印可状(流れ圜悟)くきゅうじょうりゅうあていんかじょう(ながれえんご)

1124年 圜悟克勤 東京国立博物館(国宝)

どんなもの北宋の禅僧・圜悟克勤えんごこくごんが、弟子の虎丘紹隆くきゅうじょうりゅうに与えた墨蹟ぼくせきの前半。印可状いんかじょうとされるが、本来は仏法への考えを述べた法語ほうごと解釈されている。現存する墨蹟ぼくせきでは最も古いものとされる。桐の筒に入って薩摩の坊ノ津ぼうのつの海岸に流れ着いたという言い伝えから、「流れ圜悟えんご」と呼ばれる。

茶の湯との関わり村田珠光むらたじゅこうが一休宗純いっきゅうそうじゅんから受け、初めて茶の湯の床に掛けた墨蹟ぼくせきと伝わる。古くから墨蹟ぼくせきの第一として茶人に大事にされてきた。伊達政宗だてまさむねの望みで二つに分けられ、切り分けには古田織部ふるたおりべが関わったとされる。1804年、松平不昧まつだいらふまいが金子千両などと引き換えに手に入れた。

村田珠光古田織部松平不昧

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照禅者宛偈頌(破れ虚堂)
照禅者宛偈頌(破れ虚堂) 虚堂智愚筆 南宋・13世紀
東京国立博物館(国宝)出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TB-1169?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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照禅者宛偈頌(破れ虚堂)しょうぜんじゃあてげじゅ(やぶれきどう)

南宋・13世紀 虚堂智愚 東京国立博物館(国宝)

どんなもの南宋の禅僧・虚堂智愚きどうちぐが80歳前後のころ、日本から学びに来た僧・無象静照に書き与えた法語ほうご。寛永かんえい14年(1637)、持ち主だった京都の大文字屋だいもんじやで、使用人が蔵に立てこもってこの幅を切り裂き、自害したと伝わる。この出来事から「破れ虚堂きどう」と呼ばれる。

茶の湯との関わり虚堂きどうの印可いんかを受けた南浦紹明なんぽじょうみょうは、大徳寺だいとくじ派の禅の祖にあたる。大徳寺だいとくじは茶の湯と関わりが深く、虚堂きどうの書は茶人に大事にされた。この幅は武野紹鷗たけのじょうおうが愛蔵し、のちに松平不昧まつだいらふまいが手に入れた。表具は、所蔵者の好みで改められてきた。

武野紹鷗松平不昧

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聖一国師あて尺牘(板渡しの墨蹟)
聖一国師あて尺牘 無準師範筆 南宋・淳祐2年(1242)
東京国立博物館(国宝)出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TB-1174?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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聖一国師あて尺牘(板渡しの墨蹟)しょういちこくしあてせきとく(いたわたしのぼくせき)

1242年 無準師範 東京国立博物館(国宝)

どんなもの南宋の禅僧・無準師範が、日本へ帰った弟子の円爾えんに(聖一国師しょういちこくし)に送った礼状。師のいる径山きんざんの万寿寺が焼けたとき、円爾えんには再建のために板千枚を送った。そのお礼の手紙で、この因縁から「板渡しの墨蹟ぼくせき」と呼ばれる。

茶の湯との関わり禅僧の手紙も墨蹟ぼくせきに数えられ、無準師範は墨蹟ぼくせきの代表的な書き手の一人とされる。この幅は、茶人として知られる松江藩主・松平不昧まつだいらふまいの旧蔵品。

松平不昧

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大燈国師墨蹟 上堂語(凩墨蹟)
大燈国師墨蹟 上堂語(凩墨蹟) 宗峰妙超筆 鎌倉・14世紀
九州国立博物館(重要文化財)出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyuhaku/B16?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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大燈国師墨蹟 上堂語(凩墨蹟)だいとうこくしぼくせき じょうどうご(こがらしのぼくせき)

鎌倉・14世紀 宗峰妙超 九州国立博物館(重要文化財)

どんなもの大徳寺だいとくじを開いた大燈国師だいとうこくし・宗峰妙超しゅうほうみょうちょうの墨蹟ぼくせき。法の上で祖父にあたる南宋の禅僧・虚堂智愚きどうちぐの言葉を書いたもの。ありのままに仏法を体得するのが一番難しい、という内容。「凩墨蹟こがらしのぼくせき」の名で世に知られている。

茶の湯との関わり宗峰妙超しゅうほうみょうちょうは、日本の墨蹟ぼくせきの代表的な書き手の一人とされる。宗峰しゅうほうが開いた大徳寺だいとくじは、茶の湯と関わりの深い寺として知られる。

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一行書「教外別伝不立文字」
一行書「教外別伝不立文字」 一休宗純筆 室町・15世紀
東京国立博物館出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-2944?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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一行書「教外別伝不立文字」いちぎょうしょ きょうげべつでんふりゅうもんじ

室町・15世紀 一休宗純 東京国立博物館

どんなもの「教外別伝不立文字きょうげべつでんふりゅうもんじ」を一行に書いた一休宗純いっきゅうそうじゅんの書。仏の真理は文字では表せず、経典によらずに心から心へ伝える、という禅の核心を示す言葉。

茶の湯との関わり数文字の禅の句を大きく書いた一行書いちぎょうしょは、床飾りとして掛けられてきた。わび茶を始めたとされる村田珠光むらたじゅこうは、一休いっきゅうに参禅さんぜんした。

村田珠光

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七言絶句「峯松」
七言絶句「峯松」 一休宗純筆 室町・15世紀
東京国立博物館出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-3354?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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七言絶句「峯松」しちごんぜっく ほうしょう

室町・15世紀 一休宗純 東京国立博物館

どんなもの右から「峯松ほうしょう」と大きく書き、峰の老松が茂る春の景色を詠んだ七言絶句しちごんぜっくを添える。一休いっきゅうの晩年の作と伝わる。

茶の湯との関わり茶室の床に掛ける茶掛ちゃがけには書の軸が多く使われ、わび茶では禅僧の墨蹟ぼくせきが最も大事にされた。一休宗純いっきゅうそうじゅんは、日本の墨蹟ぼくせきの代表的な書き手の一人とされる。その書は生前から尊ばれ、多く残る。

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遠浦帰帆図えんぽきはんず

南宋・13世紀 伝・牧谿 京都国立博物館(重要文化財)

どんなもの瀟湘八景しょうしょうはっけいの一つ「遠浦帰帆えんぽきはん」を描いた水墨画。川を行く帆船とその帆の影を、ごく淡い墨で表す。早くから日本に伝わった。

茶の湯との関わり足利義満あしかがよしみつが座敷飾りにするため、巻物から掛軸に改めたとされる。画中の「道有」の印は義満のもの。のちに織田信長らが所持し、「大名物おおめいぶつ」ともてはやされた。大名物おおめいぶつは、利休より前に名を得た名物をいう。

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茶書

喫茶養生記
喫茶養生記 栄西
東京国立博物館出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/QB-6444?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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喫茶養生記きっさようじょうき

1211年(初稿)・1214年(再稿) 栄西

どんなもの栄西えいさいが、茶と桑の薬としての効き目を説いた書。上下2巻で、上巻で茶、下巻で桑を扱う。日本最古の茶書とされる。

茶の湯との関わり1214年、栄西えいさいは二日酔いの将軍・源実朝みなもとのさねともに茶をすすめ、茶の徳をほめる書を献じたと『吾妻鏡あずまかがみ』にある。この書が『喫茶養生記』だと考えられている。室町時代には『茶桑経ちゃそうきょう』とも呼ばれ、茶の湯が成り立つころ茶書として関心を持たれた。

栄西

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異本君台観左右帳記
異本君台観左右帳記 江戸・17世紀写
東京国立博物館出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/QA-2430?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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異本君台観左右帳記いほんくんだいかんそうちょうき

江戸・17世紀写 原本は能阿弥の著と伝わる 東京国立博物館

どんなもの室町時代の座敷飾りと唐物からものの鑑定を記した秘伝書ひでんしょ『君台観左右帳記くんだいかんそうちょうき』の、江戸時代の写本。中国の画家の格付け、座敷飾りの方式、道具の解説からなる。能阿弥のうあみが著し相阿弥そうあみが大成したとされるが、原本は残らず、異本が多い。能阿弥のうあみの奥書の日付は没後にあたり、疑う見方もある。

茶の湯との関わり当時もてはやされた唐物からものの評価や飾り方を知るうえで、貴重な書とされる。わび茶を始めたとされる村田珠光むらたじゅこうは、能阿弥のうあみからこの書の相伝そうでんを受けたとされる。

能阿弥村田珠光

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茶経ちゃきょう

760年ごろ 陸羽

どんなもの唐の陸羽りくうが書いた茶の専門書。3巻。茶の起源、製法と道具、茶器、煮方と飲み方、産地などを述べる。世界で最も古い茶の本とされる。

茶の湯との関わり当時の茶は、固めた団茶だんちゃを削って煮るもので、日本の抹茶や煎茶とは違う。『喫茶養生記』に影響を与えた。日本では1774年に注釈書が出て、よく読まれた。

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山上宗二記やまのうえのそうじき

1588〜90年(諸本の日付) 山上宗二

どんなもの千利休せんのりきゅうの高弟・山上宗二やまのうえそうじが、名物道具の目利きめききと分類に、利休流の茶の心得を加えてまとめた秘伝書ひでんしょ。1588年から1590年までの日付で、宛先の違う写本がいくつも伝わる。

茶の湯との関わり茶道史の基本史料とされる。珠光じゅこうの言葉「藁屋わらやに名馬めいば繋ぎたるがよし」が見える。客の心得として書いた「一期いちごに一度の会」は、のちの「一期一会いちごいちえ」の語のもとになり、井伊直弼いいなおすけが『茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう』で使った。

村田珠光千利休井伊直弼

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南方録なんぽうろく

伝承では1593年ごろ・書写は1686〜90年 南坊宗啓の著と伝わる(立花実山の編とする説がある)

どんなもの千利休せんのりきゅうの教えを、弟子の南坊宗啓なんぼうそうけいが書き留めたとされる7巻の茶書。福岡藩家老の立花実山たちばなじつざんが1686年と1690年に見つけて書き写し、『南方録なんぽうろく』と名づけたという。

茶の湯との関わり今の茶道界で最も重んじられる茶書とされる。一方で、利休が生きていた頃の史料とは思えない点があり、実山じつざんが利休と南坊宗啓なんぼうそうけいの名を借りて編んだとする偽書説がある。井伊直弼いいなおすけも、この書を通じて利休らの茶の精神を学んだ。

千利休井伊直弼

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茶話指月集ちゃわしげつしゅう

1697年序・1701年刊 藤村庸軒述・久須見疎安記

どんなもの宗旦四天王そうたんしてんのうの一人・藤村庸軒ふじむらようけんから聞いた茶の話を、娘婿の久須見疎安くすみそあんがまとめた逸話集。2巻。利休や宗旦そうたんの逸話が70あまり収められている。

茶の湯との関わり逸話集としては初めて出版された茶書とされる。元禄時代に茶の湯を楽しむ人が増え、話の種になる本が求められたことが、出版につながったと考えられている。

千利休千宗旦

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古今名物類聚ここんめいぶつるいじゅ

1789〜97年刊 松平不昧(陶斎尚古老人の名で)

どんなもの松平不昧まつだいらふまいが、陶斎尚古老人の名で著した名物めいぶつ茶器の図鑑。全18巻。1787年の序があり、1789年から9年かけて4回に分けて出版された。

茶の湯との関わり茶入、天目茶碗、楽焼茶碗、名物めいぶつ裂などの部からなる。大名物おおめいぶつ・名物めいぶつ・中興名物ちゅうこうめいぶつという呼び分けと格付けを行った。江戸時代を通じて、名物めいぶつ茶器を記した最高の茶書とされる。

松平不昧

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石州侘びの文せきしゅうわびのぶん

1661年 片桐石州

どんなもの片桐石州かたぎりせきしゅうが寛文元年(1661)12月に書いた文。「茶湯さびたるは吉、さばしたるは悪敷と申事」と述べたことで知られる。

茶の湯との関わり「心を楽しむ数寄者すきしゃこそ誠の数寄者すきしゃとは云うべけれ」の言葉もこの文にある。表千家は、器物や風情を好むのは形を楽しむ数寄者すきしゃにすぎない、というこの一節を、数寄すきの茶の本来の姿を語ったものと紹介する。

片桐石州

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石州三百箇条(茶湯三百ヶ条)せきしゅうさんびゃくかじょう

1665年に献じたと伝わる 片桐石州

どんなもの片桐石州かたぎりせきしゅうの茶の指南書。1665年11月、石州せきしゅうは江戸城の黒書院くろしょいんで将軍・徳川家綱とくがわいえつならに茶を点て、将軍家の茶道師範さどうしはんとなった。このとき献じたものと伝わる。

茶の湯との関わり精選版日本国語大辞典は、石州せきしゅうがこの書で将軍家の茶(柳営りゅうえい茶道)の決まりを定めたとする。

片桐石州

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茶湯一会集ちゃのゆいちえしゅう

1845〜58年 井伊直弼

どんなもの彦根ひこね藩主・井伊直弼いいなおすけが著した茶の湯の心得の書。茶の湯の心得は「一期一会いちごいちえ」と「独座観念どくざかんねん」の語に集約されると説き、主客の約束、道具、懐石かいせきなど、茶席全般の心配りを述べる。成立は1845年ごろとする辞典と、1848年以前に草稿ができ1858年に完本となったとする辞典がある。

茶の湯との関わり直弼はこの書で「一期一会いちごいちえ」の語を使い、その精神を強調した。彦根ひこね城博物館は、同じ顔ぶれで何度茶会を開いても、今日の茶会は二度と繰り返さない会だと思って臨む心構えと説明する。

井伊直弼

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茶道ノ源意ちゃどうのげんい

明治の初め(1872年とする辞典がある) 玄々斎精中宗室

どんなもの裏千家十一代の玄々斎げんげんさいが出した建白書けんぱくしょ。提出先を、裏千家は京都府知事、日本人名大辞典は政府と書く。

茶の湯との関わり玄々斎げんげんさいは、文明開化のなかで古来の伝統や文化が否定される風潮を憂えていた。裏千家は、為政者いせいしゃに茶道の文化的価値を認めさせようとした建白と説明する。

玄々斎

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The Book of Tea(茶の本)ちゃのほん

1906年 岡倉天心

どんなもの明治の美術指導者・岡倉天心が英文で書いた本。1906年、ニューヨークで出版された。茶道の歴史、茶室、花、茶の宗匠などを取り上げる。

茶の湯との関わり茶道を通して、その根本にある東洋の美と調和の精神を説き、欧米の人に日本文化を紹介した。各国で翻訳されて読まれ、日本語訳は1929年に出た。

岡倉天心

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茶会記

松屋会記まつやかいき

1533〜1650年の記録 松屋久政・久好・久重

どんなもの奈良の塗師ぬし・松屋の久政ひさまさ・久好ひさよし・久重ひさしげの3代が、招かれた茶会の道具や料理などを書き留めた茶会記。広く伝わる本は江戸中期の写本で、原形をそのまま伝えてはいない。

茶の湯との関わり現存する最古の茶会記とされる。1587年の北野大茶湯の記事や、唐物からもの中心から和風への変化、千利休せんのりきゅうの茶などが分かる。

千利休

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天王寺屋会記てんのうじやかいき

1548年からの記録 津田宗達・宗及・宗凡ら

どんなもの堺さかいの豪商・天王寺屋の津田宗達つだそうたつ、その子の宗及そうきゅう、孫の宗凡そうぼんらの茶会記録をまとめて呼ぶ名。自分が開いた茶会と招かれた茶会の記録などからなる。千利休せんのりきゅうや山上宗二やまのうえそうじらの手紙の裏を使って書いた部分もある。

茶の湯との関わり織田信長から豊臣秀吉の時代の歴史を探るうえでも貴重とされる。天文てんぶん年間に始まる『松屋会記』『今井宗久いまいそうきゅう茶湯日記書抜』とあわせて「天文てんぶん茶会記」と呼ばれる。

千利休

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今井宗久茶湯日記書抜いまいそうきゅうちゃのゆにっきかきぬき

1554〜89年の記録 今井宗久

どんなもの堺さかいの豪商で茶人の今井宗久いまいそうきゅうが、1554年から1589年までに開いたり招かれたりした茶会、計83会を記した記録の書き抜き。『今井宗久いまいそうきゅう茶湯日記抜書』とも書く。

茶の湯との関わり『松屋会記』『天王寺屋会記』『宗湛日記』とともに、四大茶会記に数えられる。利休を中心とする茶の湯の全盛期の茶事を詳しく伝える。

千利休

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宗湛日記そうたんにっき

1586〜1613年の記録 神屋宗湛

どんなもの博多はかたの豪商で茶人の神屋宗湛かみやそうたん(神谷とも書く)の茶会記。1586年11月から1613年まで、自分が関わった茶会の様子を書き留めた。茶人の動き、茶器の形や買い値まで細かく記す。

茶の湯との関わり四大茶会記の一つ。1587年正月の大坂城での大茶会など、豊臣秀吉に関する記事は、秀吉の権勢や人柄を知るうえでも貴重とされる。秀吉や千利休せんのりきゅうの茶事の様子も記される。

千利休

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書状・文書

書状 廿八日付 宗恵宛
書状 廿八日付 宗恵宛 千利休筆 安土桃山・16世紀
東京国立博物館出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-3393?locale=ja)・ColBase利用規約(出典の記載・加工の明記)
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書状 廿八日付 宗恵宛しょじょう にじゅうはちにちづけ そうけいあて

安土桃山・16世紀 千利休 東京国立博物館

どんなもの千利休せんのりきゅうが、堺さかいの茶人・水落宗恵みずおちそうけいに宛てた書状。宗恵宛の利休の書状は、ほかに2通が知られる。

茶の湯との関わり水落宗恵みずおちそうけいは利休に茶の湯を学んだ堺さかいの人で、紹鷗名物じょうおうめいぶつの「円座肩衝えんざかたつき」を持っていたことで知られる。茶の湯では、茶人の手紙も掛物かけものとして床に掛けられる。

千利休

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古市播磨法師宛一紙(心の文)ふるいちはりまほうしあていっし

室町時代 村田珠光

どんなものわび茶の祖とされる村田珠光むらたじゅこうが、弟子の古市播磨ふるいちはりま(古市澄胤ふるいちちょういん)に宛てた文。冒頭の一節から「心の文」と呼ばれる。唐物からものと和物わものの境をなくし、融け合わせることが大切だと説く。

茶の湯との関わり一方で、初心者が備前びぜんや信楽しがらきの焼き物でわびのつもりになるのは大きな間違いだとも書く。わびは、唐物からもののよさを味わい尽くしてから至る境地だという。表千家は、茶の湯に初めて心の問題を説いた文として、わび茶の出発点に位置づける。

村田珠光

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